年末年始の震災関連2つの判決


この年末年始に東日本大震災に関連して2つの重要な判決を勝ち取りました。

1 名取閖上大橋コンクリート杭圧死事件
この事件は、平成23年3月11日午後2時46分、運送会社B1の運転手B2が大型貨物自動車を運転して宮城県名取市の閖上大橋を走行中東日本大震災が発生し貨物自動車を停止させていたところ、地震(震度6弱)の揺れで生じた遠心力により輸送貨物が移動したことによって固縛用ワイヤーロープ等が破断し、折から対向車線上で停止中のAさん運転の普通乗用自動車に輸送貨物であるコンクリート製杭7本を落下させ、Aさんを圧死させたというものです。Aさんのご遺族がB1、B2を被告に損害賠償請求訴訟を提訴しました。
昨年12月24日仙台地裁は遺族原告ほぼ全面勝訴の判決を出し、被告らはこれに控訴することなく確定しました。判決は、B1、B2の過積載の事実(2回運送すべきところを1回で済ませようとした)、側面スタンション(落下防止のための壁面)を設置すべき義務があるのに過積載のため設置できず側面スタンションを設置しないで輸送を行った事実を認定し、B1、B2の責任を認めました。宮城県においては震度6弱程度の地震は十分想定されていたのであるから、輸送業務に関わる者はそれを前提として注意・行動しなければならないということです。

2 常磐山元自動車学校津波被害事件
平成23年3月11日午後2時46分、宮城県山元町にある常磐山元自動車学校の教習生23名が学校の構内で教習中または教習待ちのために待機していたところ、東日本大震災が発生しました。午後2時49分頃山元町で大津波警報が発令され、直ちに町、消防、警察の広報車によって避難指示の伝令がなされました。上記各広報車は学校前の道路も走行し学校側は当然伝令の事実を認識していました。また、学校では地震後1分間停電しましたが、すぐに電源は復活し、その後午後3時20分に停電するまで通電していました。その間、学校にある2つのテレビが大津波警報を伝える特別番組を放映しており、役員、校長、教官らはそのテレビを見ていました。
このように学校側は大津波来襲の危険を十分認識していたにもかかわらず、授業を再開することだけを考え、その間教習生らを校庭にあるバスに乗せて待機させました。学校側は午後3時20分頃に停電になってからようやく授業再開を断念し、教習生らを帰宅させるために行先別に教習生らを送迎車に割り振り、午後3時35分から同45分頃にかけて順次送迎車を出しました。この段階においても学校側に危機感・緊迫感はなく、単に通常どおりの送迎という認識でした。そして、午後3時50分頃発車した送迎車のうち4台が津波に遭遇し乗車していた教習生23名が亡くなりました。
別の教習生2名は宮城県亘理町(津波被害はなかった地域)で路上教習中に地震に遭い、教官は教習を中断して教習生2名をわざわざ海の近くの学校敷地に連れ戻しました。この2名は送迎車に割り振られることはありませんでした。そして、2名は徒歩で帰宅途中津波に襲われ亡くなりました。
上記事実関係の下では学校側に大津波襲来について十分予見可能性があり、かつ大津波警報発令から津波襲来まで1時間もあったことから十分結果回避可能性もありました。そこで、教習生の遺族48名は、平成23年10月、学校、役員・校長(死亡の場合は相続人)、2名の教習生を連れ戻した教官等を被告に総額約19億円の損害賠償請求訴訟を仙台地裁に提起しました(当事務所の菊地弁護士を団長とする、仙台弁護士会の弁護士8名による弁護団事件)。
3年3ヶ月の審理を経て、本年1月13日、仙台地裁は学校の責任を認め、学校に約19億円の支払を命ずる原告ら遺族全面勝訴判決を言い渡しました(ただし、役員等の個人責任は否定しました)。仙台地裁は判決の中で、学校側は消防の広報車が指定避難場所への避難を呼びかけていたのを聞いており、大津波襲来の予見可能性があったと明確に判断しました。「大津波襲来は予見できなかった」、「不可抗力である」と繰り返し主張してきた学校の責任を断罪した意義は大きいものがあります(これに対し、役員等の個人責任が否定されたことについて原告らの一部が控訴し、学校も控訴しました。今後舞台は仙台高裁に移ります)。

以上の2つの事件の教訓は、未曽有の大災害だからと言って「不可抗力」の一言で済ませてはいけない(思考停止してはいけない)ということ、つまり災害でも人災の側面もあるということです。
1の事件は、当初警察は「不可抗力である。事故ではない」と言って全く動こうとせず、遺族を相手にしませんでした。しかし、遺族が粘り強く警察、検察に働きかけ続けた結果、加害者側はようやく道路法違反で立件されました。業務上過失致死罪での立件は見送りとなりましたが、検察が遺族に開示した刑事記録が民事裁判の大きな力になりました。
2の事件も、学校側は「不可抗力である。津波を全く予見できなかった」と主張し続け、遺族を全く相手にしませんでした。そして、あろうことか、「教習生は18、19歳のいい大人なんだから自分で逃げることができた」とまで主張しました(これには私は大きな憤りを覚えました。当然ながら仙台地裁はこのような主張を退けています)。
確かに東日本大震災は未曽有の大災害であり天災です。しかし、1と2の事案を見ればお分かりのとおり、どちらも人災なのです。
天災=不可抗力ではないのです。そこで思考停止してはならないのです。
今後明日なのか、はたまた何年先、何十年先なのか分かりませんが、首都圏地震、東海地震、東南海地震、南海地震は必ず発生します。それに備えて、またはそのときに、企業、学校は何をすべきかを東日本大震災は問いかけていると思います。
年末年始の仙台地裁の2つの判決が社会に投げかけている意味は大変重いと思います(菊地)。


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