Aさんは、もともと真面目で責任感が強い方でした。2011年3月11日の東日本震災では周りの人々の避難誘導を優先し自身は間一髪のところで助かりました。震災後仙台市内の避難所運営の責任者、外部との連絡の窓口になりました。また、地元の復興のリーダーでもあり、地域の復興、農業の復興に尽力されていました。2011年7月に仮設住宅に移りましたが、6畳・4畳半の二間に高齢の両親(いずれも当時83歳)と3人暮らしを強いられました。当時仮設に物置はなく二つの部屋は物で一杯でした。震災前は広々とした家に住んでいましたから相当なストレスでした。Aさんは独身で、男手ひとつで高齢の両親の面倒をみていました。Aさんはことあるごとに周りの人に「部屋が狭い、眠れない」と漏らしていました。Aさんは、医師にも倦怠感を訴え、医師のカルテにも「無表情」、「倦怠感」、「うつ状態」と記載されています。
2011年10月5日、稲刈りから仮設に帰宅したAさんは風呂に入った後急に心停止し、救急車で搬送されるも死亡が確認されました。まだ59歳でした。
Aさんの死後遺族である息子さんが仙台市に対しAさんの死亡は震災関連死であるとして災害弔慰金支給の申請をしましたが、仙台市は震災と死亡との因果関係が認められないとして、不支給決定しました。
そこで息子さんが仙台市に対し異議申立をし私がその代理人になり、現在不支給決定取消のために取り組んでいます。
災害弔慰金を支給する趣旨は、肉親を災害で失い精神面や生活面で苦難を強いられる遺族に対し弔意を表すとともに物心両面から支援を行おうとすることにあります。そうだとすれば、その運用は間違っても狭くされるべきではなく、弔意の趣旨に沿って広く運用されるべきです。つまり、災害弔慰金は損害賠償金や労災と性質が異なり、支給対象となる災害関連死はできるだけ広く緩やかにとらえられるべきであり、医学的見地から厳格な因果関係を要求するのは制度趣旨にそぐわないと言うべきです。したがって、「災害関連死」とは、災害と死亡との間に直接のつながりが認められる場合だけでなく、災害がなければその時期に死亡することはなかったと認められる場合(災害により死亡時期が早まった)も含むと考えるべきです。
Aさんは震災前はとくに健康に問題はありませんでした。したがって、上記観点からすればAさんは震災がなければその時期に死亡することはなかったことが優に認定されます。Aさんは震災関連死であり、仙台市は早期に災害弔慰金を支払うべきです(菊地)。