常磐山元自動車学校事件で画期的和解が成立


1 当事務所の菊地弁護士を弁護団長とする常磐山元自動車学校事件の裁判で、平成28年5月25日仙台高等裁判所にて教習生遺族全員について和解が成立しました。
2 事件の概要
 平成23年3月11日午後2時46分、宮城県山元町にある常磐山元自動車学校の教習生23名が学校の構内で教習中または教習待ちのために待機していたところ、東日本大震災が発生しました。午後2時49分頃山元町で大津波警報が発令され、直ちに町、消防、警察の広報車によって避難指示の伝令がなされました。上記各広報車は学校前の道路も走行し学校側は当然伝令の事実を認識していました。また、学校では地震後1分間停電しましたが、すぐに電源は復活し、その後午後3時20分に停電するまで通電していました。その間、学校にある2つのテレビが大津波警報を伝える特別番組を放映しており、役員、校長、教官らはそのテレビを見ていました。
 このように学校側は大津波来襲の危険を十分認識していたにもかかわらず、授業を再開することだけを考え、その間教習生らを校庭にあるバスに乗せて待機させました。学校側は午後3時20分頃に停電になってからようやく授業再開を断念し、教習生らを帰宅させるために行先別に教習生らを送迎車に割り振り、午後3時35分から同45分頃にかけて順次送迎車を出しました。この段階においても学校側に危機感・緊迫感はなく、単に通常どおりの送迎という認識でした。そして、午後3時50分頃発車した送迎車のうち4台が津波に遭遇し乗車していた教習生23名が亡くなりました。
 別の教習生2名は宮城県亘理町(津波被害はなかった地域)で路上教習中に地震に遭い、教官は教習を中断して教習生2名をわざわざ海の近くの学校敷地に連れ戻しました。この2名は送迎車に割り振られることはありませんでした。そして、2名は徒歩で帰宅途中津波に襲われ亡くなりました。
 上記事実関係の下では学校側に大津波襲来について十分予見可能性があり、かつ大津波警報発令から津波襲来まで1時間もあったことから十分結果回避可能性もありました。そこで、教習生の遺族48名は、平成23年10月、学校、役員(死亡の場合は相続人)、2名の教習生を連れ戻した教官等(学校が加入していた保険会社も被告にしました)を被告に総額約19億円の損害賠償請求訴訟を仙台地裁に提起しました(当事務所の菊地弁護士を団長とする、仙台弁護士会の弁護士8名による弁護団事件)。
3 一審仙台地裁判決
 3年3ヶ月の審理を経て、平成27年1月13日、仙台地裁は学校の責任を認め、学校に約19億円の支払を命ずる原告ら遺族全面勝訴判決を言い渡しました(ただし、役員等の個人責任は否定しました)。仙台地裁は判決の中で、学校側は消防の広報車が指定避難場所への避難を呼びかけていたのを聞いており、大津波襲来の予見可能性があったと明確に判断しました。「大津波襲来は予見できなかった」、「不可抗力である」と繰り返し主張してきた学校の責任を断罪した意義は大きいものがあります(なお、保険会社に対する請求は「天災条項」を理由に認められませんでした)。これに対し、役員等の個人責任が否定されたことについて原告らの一部が控訴し、学校側も控訴し、舞台は仙台高等裁判所に移りました。
4 控訴審仙台高裁で和解成立
 仙台高裁は約1年2ヶ月の審理を経た平成28年4月、双方に和解案を提示し、和解を勧告しました。
和解案は、まず前文で裁判所の所感を示し、「当裁判所は、本件学校の教習生多数が本件津波により被災し死亡するという本件の重大性及び洋々たる将来のあった本件教習生を亡くし悲嘆に暮れる多数の遺族の心情を考慮し、本件のような被災の再発を防止し、これを将来の教訓としつつ、本件被災による遺族の心情を汲んだ内容の解決を図るためには、一審被告ら全員が一審原告らとの間で和解すべきであると考える」と述べて双方に強く和解を勧告しました。
 そして、それに続く和解条項案は、①学校、社長、専務(遺族)、K教官(路上教習中の教習生2人を安全な場所からわざわざ学校敷地に連れ戻した)が、連帯して、一教習生につき50万円を支払うこと、②本件教習生は、本件津波で死亡したものであり、学校らは、本件震災に至るまで防災・避難マニュアルを作成していなかったこと、本件震災当日本件教習生に対する適切な避難指示が行われなかったこと、これが何ら落ち度のない本件教習生の死亡という結果の一因となったことを認める、③社長は、本件教習生の遺族である原告らに対し、本件教習生が死亡するに至ったことを陳謝し、心から哀悼の意を表する、④自動車学校、社長は、今後一切自動車学校及びこれに類する施設を運営しないことを約束する、というものです。
 上記①の一教習生あたり50万円という金額は、保険会社の支払責任が認められない状況の下で、被告側の支払能力(学校には全く資力がありません)を考慮した現実的金額です。和解ですから支払い可能な金額でなければ意味がありません。むしろ、ここで画期的なことは、学校以外に、一審判決が認めなかった社長、専務、教官の個人責任が認められたことです。上記②も、学校側がマニュアルを作成していなかったことと当日の学校側の適切な避難指示が行われなかったことが教習生の死亡の一因であったことを認める画期的なもので、とりわけ重要なのは「教習生に何ら落ち度がなかった」という点です。この「教習生に何ら落ち度がなかった」という一文は和解案前文にも記載され、和解案の中で2回触れられています。本件訴訟の中で、学校側は「教習生は18、19歳の大人なのだから自分で逃げることができた」と主張し、またネット上でも同種の心ない書込みが相次いでいましたが、仙台高裁は明確にこれを否定しました。そして、遺族側が強く要求していた社長の謝罪(上記③)、二度と同じ過ちを繰り返さないために今後自動車学校(及びこれに類する施設)を運営しないことを約束させることを勝ち取ることができました。
 とはいえ、遺族はこの和解案を受け入れるかどうか非常に悩みました。とくに、解決金50万円という金額は教習生の命の対価としてあまりにも低すぎるのではないかと思い悩みました。しかし、一審判決では認められなかった社長ら役員、教官の個人責任が認められたこと、「教習生に何ら落ち度がなかった」ことが認められ教習生の名誉が守られたこと、判決になれば単に「いくらのお金を支払え」という主文になるだけで、社長の謝罪、今後の施設運営はしない約束等は勝ち取れないことから、悩みに悩んだ末に全員が上記高裁の和解案を受け入れることになり、今回の和解成立に至ったものです。苦渋の決断をされた遺族の皆様に心より敬意を表したいと思います。今回の和解の内容は、亡くなった子どもさんたちの霊前に捧げるに十分過ぎるほど十分なものです。
 遺族の皆様にとって最愛の子どもさんを失った悲しみが消えることはないと思いますが、今回の和解を一つの区切りにして新たなスタートを切ってほしいと切に願います。遺族の皆様、本当にお疲れさまでした。
5 今後の教訓に
 今回の和解の内容が、今後日本各地で必ず起こるであろう大地震、大津波の際の教訓になれば、これが本件訴訟を起こした最大の成果であると思います。
 皆様、長い間のご支援ありがとうございました。


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